勇ましい【第174話】

ウォーキング中、
見知らぬ男性から「勇ましい」
と声をかけられました。

自分たちには思いもよらなかった一言です。

他人の目には、
自分がどのように映っているのかを
考えています。

他人の目に映る自分

今朝、
妻とウォーキング中、
いつものように折り返し点で
簡単なストレッチ体操を始めた。

すると
六十代くらいの
ウォーキングをしていた男性が近寄り、
「あなたたちふたりで柔軟体操をしている姿、
 遠くからみていると勇ましいね」、

と言った。

私たちは愛想笑いを返し、
すぐ折り返した。

歩きながら妻は、
「あの男性『勇ましい』て言ってたわよね」
と私に確認した。

私も、
男性がどういう意味で
「勇ましい」と言ったのか分からなかった。

ふたりでストレッチ体操をしている姿が、
勇ましくみえたのだろうか。

私たちにとっては、
まったく意外な言葉だった。

しかし私たちとは別の角度から、
他人が我々をみていることもある。

また、
私たちが気づかないだけで、
­傍­目(はため)には
まったく違った絵になっていることも
あるのだろう。

それは日常生活でもいえるのではないか。

会社での自分、
家での自分、
友人間での自分、
あらゆる立場での自分が、
想像している自分と
まったく違って他人の目に映っている、
ということがあるのだろう。

想像以上に悪く映っていることもあれば、
良く映っていることもあるだろう。

いつも冷静に自分をみていれば、
あるていどは客観的にみられるのだろうが、
人間なかなかそうはいかない。­

誉められれば、
必要以上に増長したり、
けなされれば不要な劣等感に­
苛­(さいな)まれる。

自分の作品も同じことだろう。

作品には人格がある
と信じているので、
扱われ方によっては、
次の作品に大きく影響するかもしれない。

だから、
いつも心身共に
健康を保っている必要があるのだ。

そして、
冷静な判断力と
弛­(たゆ)みのない勉強によって、
自分を、
作品を、
客観的に見詰める眼を
養わなければならないと思っている。

執筆日:1998/10/29(木)

編集後記

28年前の私は、
「勇ましい」という予想外の一言から、
他人の目に映る自分について考えていました。

自分を客観視することの難しさは、
今も変わらないように思います。

👉次回記事「第175話」はこちら
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