ウォーキング中、
見知らぬ男性から「勇ましい」
と声をかけられました。
自分たちには思いもよらなかった一言です。
他人の目には、
自分がどのように映っているのかを
考えています。
他人の目に映る自分
今朝、
妻とウォーキング中、
いつものように折り返し点で
簡単なストレッチ体操を始めた。
すると
六十代くらいの
ウォーキングをしていた男性が近寄り、
「あなたたちふたりで柔軟体操をしている姿、
遠くからみていると勇ましいね」、
と言った。
私たちは愛想笑いを返し、
すぐ折り返した。
歩きながら妻は、
「あの男性『勇ましい』て言ってたわよね」
と私に確認した。
私も、
男性がどういう意味で
「勇ましい」と言ったのか分からなかった。
ふたりでストレッチ体操をしている姿が、
勇ましくみえたのだろうか。
私たちにとっては、
まったく意外な言葉だった。
しかし私たちとは別の角度から、
他人が我々をみていることもある。
また、
私たちが気づかないだけで、
傍目(はため)には
まったく違った絵になっていることも
あるのだろう。
それは日常生活でもいえるのではないか。
会社での自分、
家での自分、
友人間での自分、
あらゆる立場での自分が、
想像している自分と
まったく違って他人の目に映っている、
ということがあるのだろう。
想像以上に悪く映っていることもあれば、
良く映っていることもあるだろう。
いつも冷静に自分をみていれば、
あるていどは客観的にみられるのだろうが、
人間なかなかそうはいかない。
誉められれば、
必要以上に増長したり、
けなされれば不要な劣等感に
苛(さいな)まれる。
自分の作品も同じことだろう。
作品には人格がある
と信じているので、
扱われ方によっては、
次の作品に大きく影響するかもしれない。
だから、
いつも心身共に
健康を保っている必要があるのだ。
そして、
冷静な判断力と
弛(たゆ)みのない勉強によって、
自分を、
作品を、
客観的に見詰める眼を
養わなければならないと思っている。
執筆日:1998/10/29(木)
編集後記
28年前の私は、
「勇ましい」という予想外の一言から、
他人の目に映る自分について考えていました。
自分を客観視することの難しさは、
今も変わらないように思います。
👉次回記事「第175話」はこちら
怒りの処理|怒りのエネルギーとどう向き合うか


