サラリーマン追放【第216話】

「サラリーマン初の減少」
という新聞記事をきっかけに、
筆者は
「サラリーマン解放」と「サラリーマン追放」
の違いを考えます。

会社から追放される前に、
自分の力でサラリーマン生活から抜け出せないか――。

1998年当時の筆者が考えた
「働き方」と「生き方」の問題です。

「サラリーマン解放」と「サラリーマン追放」の違い

昨日の朝刊に、
「サラリーマン初の減少」
という見出しが、
一面の真ん中に載っていた。

サブ見出しに
「1~10月で25万人減」とあった。

――お、いよいよ私と同じ考えの人が増えてきたな、
  サラリーマン解放か――

と思いきや、
折り畳んだ新聞の陰に隠れ、
見出しと同じ大きさの文字で、
「リストラを映す」とあった。

内容を読めば、
なんてことはない。

サラリーマン解放どころか、
サラリーマン追放だ。

企業のリストラで、
人減らしが加速しているのと、
突然の倒産劇などによる、
サラリーマン追放が始まっているのだ。

今までも業界や会社によっては、
徹底的なリストラもあったが、
サラリーマンという職業の
剥­奪(はくだつ)までには至らなかった。

なぜなら
これほど現実の数字は減っていなかったからだ。

これを自然現象と考えれば、
もうサラリーマンは、
いま以上は必要ないのではないか、
ということだ。

戦後一貫して増えてきた日本のサラリーマンは、
さらに増えると溢(あふ)れ出してしまい、
飢え死にするものが出てくる、
ということかもしれない。

であれば、
他に職を求めなければならない。

私のように、
作家に転職する方向で進めている人が何十人、
いや何百、何千といるかもしれない。

だとすれば
作家もある時点で飽和状態になり、
こんどは「サッカ解放」なんてエッセイを書いて、
画家を目指したりしなければならない時代が
くるかもしれない。

いずれにしてもサラリーマンという職業が、
飽和状態にきていることは何よりも明らかであり、
自分も追放を受けることが現実に起こりうる、
と考える方がまともだ。

ならば、
追放される前に、
自分の力で
サラリーマンという呪縛(じゅばく)から
解放されるべきだ。

執筆日:1998/12/10(木)

編集後記

第216話では、
「サラリーマン解放」
という言葉とは正反対の
「サラリーマン追放」
という現実に目を向けています。

追放されてから次の道を探すのではなく、
その前に自分自身の力で進む道を考える。

1998年の筆者が、
会社員として働きながら感じていた
危機感が表れた一話です。

👉次回記事「第217話」はこちら
冬のボーナス|冬のボーナスから考えるサラリーマンの豊かさ