玉手箱【第211話】

浦島太郎が最後に開けた「玉手箱」。

もし、あの箱を開けなかったら、
浦島太郎はどんな人生を送ったのでしょうか。

1998年の私は、
そんな想像から浦島太郎のその後を考え、
人間の一生について思いを巡らせています。

玉手箱の先にある、人間の一生

蓋(ふた)を開けると、
煙が出てきて急に老けてしまうのは良く知られている。

もし玉手箱を開けずにそのまま放って置き、
浦島太郎が若いままでいたら、
どうなったであろうか。

まい戻ってきた世の中について行けず、
ノイローゼになって自殺でもしてしまったかもしれない。

もしくは、
時代感覚のずれた珍しいキャラクターを売り物にして、
あるていど成功したかもしれない。

また逆に、
老いぼれた後の、
浦島太郎の人生を知っている人はいない。

いったいどうなったのだろうか。

年老いて
行くところもなく、
身寄りのない太郎が
浜辺で行き倒れになっているところを、
出勤途中の保健所職員に発見され、
施設に入れられてしまう。

太郎が、
なぜこんなところにいるのだろう、
と目覚めたときにはボケ症状はひどくなっており、
看護婦の不親切でいいかげんな介護しか受けられず、
亡くなっていった。

無縁仏の太郎は入る墓もなく、
夏になると、
浜辺に火の玉となってうらめしく現れる。

そんな結末だろうか。

それとも、
白髪、白髭­(ひげ)になってしまったが、
丹念に髪と髭の手入れをし、
ダンディな服装に身を固め、
竜宮城の実体験を生かし、
自由奔放な想像力を筆任せに書きまくり、
作家として大成功を収めた、
なんてことになっていたかも。

いずれにしても
人間の一生なんて、
最後の瞬間まで分からない。

だったら
自分の存在を強く感じられる方が良いではないか。

その瞬間が多ければ多いほど、
生きる甲斐もあるというものだ。

長生きできる時代になり、
だんだん予定通りの死に方は難しくなってきている。

少なくとも最後の瞬間に
「生き抜いたぞ、おれは!」、
と感じて旅立ちたい。

執筆日:1998/12/5(土)

編集後記

浦島太郎の玉手箱から始まった第211話ですが、
最後に残るのは
「人間の一生は最後の瞬間まで分からない」
という考えです。

1998年の私は、
老いてからの人生をいろいろと想像しながら、
「自分の存在を強く感じられる瞬間が多い方がいい」
と考えています。

28年後の今読み返してみても、
「最後まで分からない」
という感覚は変わりません。

だからこそ、今できることを続けていく。
この「千日解放」も、
その一つなのだと思います。

👉次回記事「第212話」はこちら
自我の強さ|自分では気づかない「強さ」を考える