ひまわり【第123話】

夏の終わりを迎えたひまわりを見ていると、
人の人生にも季節があるように感じます。

第123話は、
ひまわりや花火を通して、
「太く短く生きる人生」

「細く長く歩む人生」
について考えた一篇です。

自然の姿が、
人生そのものを映し出しているように思えます。

人生にも季節がある

いま、
ひまわりは盛りをすぎている。

毎朝、
ウォーキングの遊歩道で、
ひなびた花弁を
恥ずかし気もなく
さらしているひまわりは、
百歩譲っても奇麗とはいえない。

夏の暑い盛りには、
驚くほど派手に美しさを
誇示していた。

それだけに、
この時期になると
みすぼらしいほどしおれて、
見るに忍びない姿だ。

ちょうど若いときに
派手な美貌を誇った人の、
­歳と共に張りを失った皮膚や皺(しわ)を
隠すつもりでした厚化粧が、
かえって
みすぼらしさを増している様(さま)を
連想してしまう。

夏の生物は、
華やかに太く短く生きるものが
多いような気がする。

ひまわりは、
セミやカブト虫などと並んで、
その代表のひとつに数えられるだろう。

夏の風物詩にもその傾向は見られる。

花火などは代表格だ。

華やかで派手で短い命だ。

人生も様々で、
ひまわりや花火のように、
太く短く生きるのを望む人と、
平凡でも良いから、
細く長く生きるのを望む人とがいる。

どちらが良いとはいえない。

前者は夏型なのだろう。
後者は春夏秋冬型とでもいおうか。

夏型のような生き方は、
引き際、
つまり死に方を間違えると、
この上なく惨めになるだろう。

派手であるだけに、
凋落してもなお
生き恥をさらすのは、
当人が一番苦しいはずだ。

華やかさを満喫してしまう感覚からは、
凋落に耐えられる精神は生まれない。

春夏秋冬型は、
つど季節感を味わい、
凋落に耐え得る精神が生まれる。

浮き沈みを経験し、
人生の機微が分かるようになる。

いたずらに生活レベルを上げないし、
常にマイペースが維持される。

私が作家で成功しても、
このことは肝に銘じておかなければならない、
と思っている。

しかし、
まずは華やかで派手な夏を迎えてみたい。

秋冬ばかりでは、
耐えるのみだ。

執筆日:1998/09/08(火)

編集後記

人生には、
それぞれ違った歩み方があります。

華やかな時期もあれば、
静かに力を蓄える時期もあります。

どちらが正しいということではなく、
自分らしい歩幅で歩み続けることが
何より大切なのだと、
この一篇を読み返して改めて感じました。

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