純文楽(じゅんぶんがく)を目指す【第202話】

「文学」ではなく、
「純文楽」。

そんな言葉を使って、
1998年の私は、
自分がどんな文章を書きたいのかを考えています。

難しい言葉や飾り立てた文章ではなく、
読んで楽しく、
読者の心をつかむ文章を書きたい。

今回は、
そんな作家としての原点
ともいえる考えを綴った一篇です。

「純文楽」に込めた、読んで楽しい文章への思い

おんがくは、音楽と書く。
音を楽しむ、
文字通りの漢字だ。

文学(ぶんがく)は、
なぜ文楽と書かないのか。

人形芝居の文楽(ぶんらく)
があるからだろうか。

もし文楽(ぶんらく)がなかったら、
文学を文楽と書いて、
ぶんがくとしただろうか。

私は純文楽(じゅんぶんがく)を目指したい。

文字通り、
純粋に文を楽しむ、
つまり読んで楽しくおもしろいものを目指したい。

それが、
いま心から文学に求められているのではないか。

自己満足に陥っている小説や、
意味難解な修飾語だらけの小説、
重苦しさだけの小説。
ときには必要なものもある。

しかし、
私は肩が張らない、
飾り気の少ない平易な文章で創作したい。

そして、
読者を掴(つか)みたい。

私の次回作を、
心待ちにしてくれる人がたくさんいる。
そんな作品をうみ出したい。

芸術って一体何だろう。

三省堂・現代国語辞典には、
「美を表現する、人間の活動。
また、その結果、うみだされたもの」、
とある。

私は芸術こそ、
人間の心を豊かにする、
最たるものに他ならないと思う。

ということは、
専門家の間でどんなに高い評価であっても、
人の心を豊かにできない作品は、
芸術価値が少ないといわざるを得ない。

それは、
大衆芸術だろ、
文学でいえば大衆文学だ、
といわれるかもしれない。

しかし、
大衆の気持ちを掴­(つか)めずに、
なにが芸術であり、文学なのか。

サラリーマンはいわば大衆である。

彼らの気持ちを掴(つか)んだ作品を創(つく)りたい。

様々な分野の、
様々なストーリーを展開させたい。

サラリーマンを離れた
楽しいひとときをすごせるような、
そんな作品をうみ出せたら最高だ。

まだまだ勉強すべきことのみ多く、
大変険しい道のりと自覚するが、
自信はある。

執筆日:1998/11/26(木)

編集後記

「純文楽」という
言葉を初めて読んだとき、
2026年の私は
少し懐かしい気持ちになりました。

1998年の私は、
まだ作家として何者でもありません。

それでも
「読んで楽しい文章を書きたい」
「次回作を心待ちにしてくれる読者をつくりたい」
と考えていました。

28年後の今、
私は再び文章を書き、
当時の文章を読者に向けて公開しています。

「肩が張らない、飾り気の少ない平易な文章」
という考え方は、
今読み返しても、
自分が文章を書くうえで大切にしたい姿勢です。

👉次回記事「第203話」はこちら
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