生きがい【第196話】

仕事を生きがいにしてきた人は、
仕事を失ったとき、
何を支えに生きればよいのでしょうか。

1998年の私は、
「何のために生きるのか」と「生きがい」は
似ているようで違うと考え、
自分自身にとって
本当の生きがいを探すことの大切さを綴っています。

仕事を生きがいにする前に考えたいこと

「何のために生きるのか」
と
「生きがい」は、
似て非なるものだと思う。

どちらも人間が生きて行く上で、
永遠のテーマであろう。

生きがいは、――妻、夫、子供、家族、
恋人、仕事、富、名声、権力、スポーツ、
創作活動、旅行、賭け事、女、男、政治、
音楽、バイク、車、友人、グルメ、趣味――
様々なことが考えられるが、
いま挙げた事柄のひとつくらいは、
誰でも心あたりがあるだろう。

五十歳前後のサラリーマンにとって、
「生きがい」は仕事、
という人は多いであろう。

「何のために生きるのか」
がわからないまま、
仕事に「生きがい」を求め、
わき目も振らず働いてきた結果、
バブルが弾­(はじ)けた煽(あお)りで
我々自身も弾き飛ばされそうになっている。

すでに起こっている五十代前後の就職難は、
「生きがい」を揺るがす力を持っている。

つまり「生きがい」が揺るげば、
「何のために生きるのか」がわからないまま死に向かい、
自暴自棄にもなりかねない。

そうならないために、
仕事が「生きがい」のサラリーマンは、
いまからでも、
自分にとって真の「生きがい」を探す必要がある。

探し出した「生きがい」を、
少しでもいいから
収入を得られる仕事にする準備をするのだ。

ただし懸命に努力をしなければならない。

努力をすれば何とかなる、と私は信じる。

「生きがい」をみつけられれば、
「何のために生きるのか」が見えてくるだろう。

そうなれば、
あと二、三十年あるのだから、
何かができる。

努力できる。

精進もできる。

情熱を断絶させずに生き抜ける。

一日、一日を大切にするだろう。

いままでの数倍もある、
生きている実感を得られるだろう。

着実な一歩一歩の足取りを、
自分自身で確認できるようになるだろう。

そこまでくれば、
志の途上で果てても納得ゆくだろう。

執筆日:1998/11/20(金)

編集後記

1998年の私は、
仕事を生きがいにすることの危うさを考えながら、
自分自身の本当の生きがいを探そうとしていました。

2026年の今読み返すと、
「何のために生きるのか」と「何を生きがいにするのか」
を分けて考えることは、
年齢を重ねた今だからこそ
大切な問いだと感じます。

生きがいを
仕事につなげようとした当時の考えは、
千日解放という目的とも深くつながっています。

👉次回記事「第197話」はこちら
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