「サラリーマン初の減少」
という新聞記事をきっかけに、
筆者は
「サラリーマン解放」と「サラリーマン追放」
の違いを考えます。
会社から追放される前に、
自分の力でサラリーマン生活から抜け出せないか――。
1998年当時の筆者が考えた
「働き方」と「生き方」の問題です。
「サラリーマン解放」と「サラリーマン追放」の違い
昨日の朝刊に、
「サラリーマン初の減少」
という見出しが、
一面の真ん中に載っていた。
サブ見出しに
「1~10月で25万人減」とあった。
――お、いよいよ私と同じ考えの人が増えてきたな、
サラリーマン解放か――
と思いきや、
折り畳んだ新聞の陰に隠れ、
見出しと同じ大きさの文字で、
「リストラを映す」とあった。
内容を読めば、
なんてことはない。
サラリーマン解放どころか、
サラリーマン追放だ。
企業のリストラで、
人減らしが加速しているのと、
突然の倒産劇などによる、
サラリーマン追放が始まっているのだ。
今までも業界や会社によっては、
徹底的なリストラもあったが、
サラリーマンという職業の
剥奪(はくだつ)までには至らなかった。
なぜなら
これほど現実の数字は減っていなかったからだ。
これを自然現象と考えれば、
もうサラリーマンは、
いま以上は必要ないのではないか、
ということだ。
戦後一貫して増えてきた日本のサラリーマンは、
さらに増えると溢(あふ)れ出してしまい、
飢え死にするものが出てくる、
ということかもしれない。
であれば、
他に職を求めなければならない。
私のように、
作家に転職する方向で進めている人が何十人、
いや何百、何千といるかもしれない。
だとすれば
作家もある時点で飽和状態になり、
こんどは「サッカ解放」なんてエッセイを書いて、
画家を目指したりしなければならない時代が
くるかもしれない。
いずれにしてもサラリーマンという職業が、
飽和状態にきていることは何よりも明らかであり、
自分も追放を受けることが現実に起こりうる、
と考える方がまともだ。
ならば、
追放される前に、
自分の力で
サラリーマンという呪縛(じゅばく)から
解放されるべきだ。
執筆日:1998/12/10(木)
編集後記
第216話では、
「サラリーマン解放」
という言葉とは正反対の
「サラリーマン追放」
という現実に目を向けています。
追放されてから次の道を探すのではなく、
その前に自分自身の力で進む道を考える。
1998年の筆者が、
会社員として働きながら感じていた
危機感が表れた一話です。
👉次回記事「第217話」はこちら
冬のボーナス|冬のボーナスから考えるサラリーマンの豊かさ


