二十一世紀を目前にした1998年、
私は「世紀末」という言葉を手掛かりに、
日本社会や組織のあり方について考えていました。
その場しのぎを繰り返すだけでは、
いずれ限界が来る。
そんな問題意識から、
最後は自分自身の「継続」への決意へと話が向かいます。
その場しのぎでは乗り切れない
あと二年もすれば、
二十一世紀を迎える。
今はまさに世紀末だ。
天候がおかしい、
経済不況だ、
凶悪犯罪が多い等、
様々な厭(いや)なことを世紀末のせいにしたがるが、
これらはみな人間の驕(おご)りにすぎず、
世紀末のせいでもなんでもない。
いま社会では、
コンピューター整備にやっきになっている。
今頃になって、
機器の日付が二千年対応になっていない、
というのだ。
対策を延ばし延ばしにしてきた結果のつけであろう。
世界的なことなのだが、
日本らしい話に聞こえてしまうのは私だけか。
最近特に強く感じることだが、
日本という国は政治も社会も会社も、
あらゆる組織が、
得意なその場凌(しの)ぎで乗り切ってきたのだ。
しかし最近では、
小手先の繕いでは
誤魔化せないところまできてしまっている。
日本人は総体では、
世界に類をみないほど、
非常に賢い人種ではないかと思う。
頭の使い方が非常に器用、
といった方があたっているかもしれない。
そして、元々不精な人種なのだろう。
農耕民族の日本人は
土着して生活をしてきた。
確立したものを保守することにエネルギーを費やし、
さらなる知恵を出したがらない。
その場凌ぎが上手で、
不精者であるのなら、
化けの皮が剥(は)がれたときには
後退するしかないだろう。
不精者なのだから、
復元するまでに時間はかかるだろう。
日本人だけに限らず、
人間は元々不精者だ、
というのが持論である。
だからこそ、
「継続は力なり」とか、
ひとつの道を究めた人が、
褒章の栄誉に輝いたりする。
人間不精者なりという認識の基、
私は努めて情熱を継続するよう、
自分自身をコントロールし、
知恵を絞って挑戦してゆく。
四十八歳にもなって、
やっと私は目覚め、
いまこうしてペンを執っているわけだ。
執筆日:1998/11/15(日)
編集後記
1998年の私は、
二十一世紀を目前にして、
日本社会の「その場しのぎ」に強い違和感を持っていました。
そして最後には、
その問題を社会だけに向けるのではなく、
自分自身について「継続は力なり」と考えています。
2026年の今、
読み返すと、
この「継続して挑戦する」という考え方は、
「サラリーマン千日解放」を続けている
現在にも通じるものだと感じます。
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