会社には、
なぜこれほど多くの「勉強会」があるのだろうか。
学ぶためと言いながら、
実際には疲れだけが残る。
形式として続けられる研修と、
本当に必要な学び。
その違いについて、
改めて考えてみたい。
サラリーマン組織に潜む“やらされ感”
本日は泊まり込みの勉強会だ。
会社から離れた別の場所に晩方入り、
翌日に勉強会と称するものをやって、
夕方までに解散する。
勉強会や研修会は、
どこの会社でも実施していることだが、
どこまで役に立っているのかを考えると疑問だ。
なぜなら前の晩に宴会で夜遅くまで飲み、
翌日二日酔いに近い人が、
半分以上を占める勉強会であるからだ。
結局、決議できずとも時間がくれば解散。
何が残るのだろうか、
飲み疲れか。
もちろん罪ばかりではなく、功もある。
私どもの勉強会は、
日本全国にある工場からも人が集まる。
また他部署の人たちにも出席を求めることで、
普段接触のない人たちとも
コミュニケーションがはかれる。
しかしだ。
宴席でのコミュニケーションが、
どれ程日常の仕事に役立つか。
ましてや、
トップ権力が絶大な会社の
ホワイトカラーにとっては、
トップの批判にならない批判や、
不平不満めいたことだけで
終わってしまうのではないのか。
休日を割いてまでやる必要があるのだろうか、
と思ってしまう。
志ある人たちが、
自発的に勉強会や研修会を、
というのなら、
価値は百倍になるだろう。
本物のやる気を、
どうしたら組織の中に生み出すことができるか。
それを専門プロジェクトで考えるほうが、
よほど合理的だ。
サラリーマンというのは、
いざ鎌倉ではないが、
そういう事態にならないと、
なかなか危機感を持てない人種
なのかもしれない。
会社のいざ鎌倉で、
初めて真剣に問題対峙する者もいれば、
早々と見切りをつけて他の会社に移る者もいる。
また、
自分自身のいざ鎌倉で、
パニック状態に陥る者もいれば、
そこで自立する者もいる。
それがサラリーマンなのであろうか。
執筆日:1998/07/10(金)
編集後記
本当の学びは、
「やらされる場所」ではなく、
自ら必要だと思った瞬間に始まるのかもしれません。
組織の中では危機感が共有されにくい。
だからこそ、
自分自身で考え、行動する力
が必要なのだと思います。
👉第64話はこちら
なぜ日本の会議は決まらないのか|責任分散するサラリーマン社会

