パッチワーク【第186話】

会社の経営を見ていて感じた
「パッチワーク」という感覚を、
1998年の私は日本の政治や経済にも重ねています。

バブル崩壊後の社会を見ながら、
大改革者の必要性について考えた文章です。

パッチワークでしのいできた日本

私は、
自分の会社だけが、
パッチワーク的に
事業を遣り繰りしていると思っていた。

しかしバブル崩壊後の、
日本の政治や経済をみると、
まさしく我社はその縮図であったことが分かった。

日本全体が
パッチワークで戦後の政治、経済を
凌(しの)いできたのだ。

親方日の丸の精神は、
公務員だけではなく、
金融機関、
大会社等にも色濃くみられる。

そして我々中小企業にも伝染していたのだ。

何の疑問も抱かずに、
毎日が暮らせると思っている。

これでは豊富にある資源も
早晩枯渇するのはあたり前だ。

こんな時代には、
大改革者が必要になる。

さいわい、
我社は新しい指導者になったので、
期待に答えてくれると思うが、
日本はどうなってゆくのだろう。

若い大改革者は今のところいない。

若手のプリンス的な台頭はあったが、

大改革者にはほど遠いレベルだった。

私は一庶民として、
無責任にいわせてもらっている。

とはいっても
我々の税金で
バックアップしている政治家たちは、
一体どんな気持ちで仕事をしているのだろう。

昔からある話だが、
政治資金の横領や、
権限の悪用で私腹を肥やす。

相変わらずの世界だ。

何百人もいる国会議員の中に、
数人そんな輩(やから­)がいるのは
やむを得ないかもしれない。

しかし同時に、
政治・経済にずば抜けた能力を持つ者が
数人いてもおかしくないはずだ。

それがまったくいない。

皆、中途半端な
「中粒(ちゅうつぶ)揃い」にみえてしまう。

発言等を聞くと、
もっともらしい考えの議員もいる。

しかし有言実行ができて、
初めて政治家といえるのではないか。

持論を説明するだけなら、
学者か評論家になればいい。

政治家として認めてもらうには、

実行以外にはない
と思って貰­(もら)いたいものだ。

作家として認めてもらうには、
良い作品を書く以外にはない、
のと同じように。

執筆日:1998/11/10(火)

編集後記

1998年の私は、
会社のあり方を「パッチワーク」と感じ、
その視線を日本の政治や経済にまで広げています。

2026年から読み返すと、
当時の社会に対する苛立ちや期待が
率直に伝わってきます。

最後に
「実行すること」
の大切さへ戻ってくるところは、
今読んでも印象に残ります。

👉次回記事「第187話」はこちら
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