なぜ政治に期待できなくなったのか【第65話】

人はなぜ、
政治に期待できなくなったのだろうか。

政党は増え、
主張は溢れている。

しかしその一方で、
「誰が責任を取るのか」が
見えなくなっている気がする。

それは、
サラリーマン社会にも通じる問題なのかもしれない。

責任分散する日本社会とサラリーマン組織

本日は、
公職選挙法改正後、
初めて行われた参議院総選挙の投票日だ。

私は4、5年前投票に行ったきりで、
ここ数年行っていない。

いまの政党は、
まず物理的にわけが解らない。

与党も複数だが、
野党においては十数党もある。

過去における野党勢力の結集は、
いまでは逆に分散してしまっている状態だ。

サラリーマンの稟議とまったく一緒で、
責任の分散状態を作り、
権力だけに固執しているとしか思えない。

日本社会の、
ほとんどの組織がそんな状況である。

選挙を棄権するのは、
国民として非常に無責任であるが、
あまりにも政治の不可解さと、
亡者的な顔つきの政治家面々には
愛想がつきている。

今回の選挙から、
投票時間を午後8時まで2時間延長した。

果たしてそれが投票率アップに
つながるのだろうか?

こんな小手先のことばかりしているから、
政治に関心がいかないのではないか。

景気は低迷しており、
暗いトンネルから抜け出せない日本にとって、
それを打破する現実的な政策を、
国民一人一人に
分かり易くアピールしている政党がない。

現実離れしていたり、
前にも同じようなこと言っていたり、
オオカミ少年ならぬオオカミ老人だな
と思わせるものが多い。

それは、
非常に素晴らしい政策をもって
真面目に頑張っている人たちの政策すら、
一把ひとからげにされてしまう危険性がある。

現実に政党の政策よりも、
党首の人気だけが優先し、
政党名すらよく分からないケースも
あるくらいだ。

こうなると、
すべてが自然の原理に戻り、
こつこつと
たゆまぬ努力と継続をしている人たちが、
最後は勝利すると思う。

千日解放も同じ考えに基づいているのだが。

執筆日:1998/07/12(日)

編集後記

社会も組織も、
複雑になるほど責任の所在が曖昧になっていきます。

しかし最後に信頼されるのは、
目立つ人ではなく、
地道に積み重ねる人なのだと思います。

それは政治も、
人生も同じなのかもしれません。

👉第66話はこちら
なぜ日本社会は疲弊しているのか|むち打ち症になった身体と政治の共通点