人はなぜ歩くのか【第85話】

健康のために始めたウォーキング。

しかし歩いていると、
見えてくるのは健康だけではありません。

人の表情、
歩く速度、
そして人生への向き合い方。

今回は
早朝の遊歩道で感じたことを
伝えさせていただきます。

ウォーキングが教えてくれる人生の歩き方

ウォーキングを始めた。

といっても、
始めたり止めたりの
繰り返しをしているわけだ。

早朝5時に起床し、
5時半から歩く。

家の近くにある遊歩道では、
朝早くから多くの人が歩いている。

ほとんどの人が、
定年して、
悠々自適の生活を楽しんでいる
と思われる年代だ。

すれ違うと声をかけてくる。

「おはようございます」

「あ、おはようございます」

私は挨拶を返すが、
どうもこどものころに
聞いたものとは違うようだ。

どこか形式的な響きに聞こえる。

私の気持がひねくれていて、
そう聞こえるのかと思ったら、
最近歩き始めた妻も感じているようだ。

「みんなに声をかけられるのも何か……、
 こう、あまり……ね」

要は、
ありがた迷惑になってしまうようだ。

お座なりに聞こえてしまうからか。

見知らぬ人に声をかけるのは、
むかしと比べ、
かなり抵抗感があるのかもしれない。

それでも挨拶を交わす人は、
まだいい方なのだろう。

遅くなって6時半ごろ遊歩道に入ると、
すれ違うウォーカーは、
黙って通りすぎる人の方が圧倒的に多い。

彼らは出勤前の慌ただしい中で、
ウォーキングをしているのだろう。

遊歩道の中に、
通勤するサラリーマンも増えて、
よけい気があせるのか、
余裕のない歩きだ。

健康のために歩くのと、
勤め先での
8時間のストレスを覚悟して歩くのとでは、
かなり違った足取りになるだろう。

かたやプラスの歩きであり、
かたやマイナスの歩き
ほどの差が出てくるかもしれない。

しかし、
胸をピンと張って、
大股で力強く、
ハキハキ歩くと、
­身体にも、
精神衛生上にも良い。

私の人生も同じように歩めば、
必ず長生きできる、
と確信している。

執筆日:1998/08/01(土)

編集後記

歩くことは健康のため
だけではありません。

ゆっくりと景色を眺めながら歩く時間は、
自分自身と向き合う時間でもあります。

忙しい毎日の中でも、
少しだけ立ち止まり、
自分の歩幅で人生を歩いていきたいものです。

👉第86話は、
なぜ加害者と被害者は入れ替わるのか|見えない事情と責任の行方