毎朝当たり前のように昇る太陽。
だからこそ、
その存在の大きさを
忘れてしまうことがあります。
第134話は、
太陽という存在を通して、
人を支えてくれる家族や日常のありがたさ
について考えた一篇です。
当たり前だからこそ気付かない存在
いまの時季(執筆日は1998/09/19)、
日の出は五時半前後だろう。
ウォーキングの終わるころに、
陽は昇り始める。
太陽の恵とは、
よくいったものだと思う。
地球がこうして何億年ものあいだ存在し、
生物が、人間が、長いあいだ存在し得るのも、
太陽があればこその話だろう。
太陽がなければ、
地球上の生物は存在し得ないだろうし、
地球の存在すらないだろう。
絶対的な存在であるがゆえに、
昔から太陽は明るいもの、
前向きなもの、
人生の暗闇を照らし、
先に導いてくれるもの、
様々なプラスの象徴として使われてきた。
宗教の中には、
太陽を神とするものもある。
季節によって、
輝きや光線の強弱が違う太陽。
日の出は、
我々を清々(すがすが)しい気分にさせてくれる。
不思議に心身を勇気づけてくれるような気がする。
太陽は、
大きなエネルギーを持っている。
それだけに、
太陽がやけに白々しく空しく感じるときもある。
徹夜の仕事あけなどに朝日を仰ぐとき、
うっとうしく感じたりする。
また昇る陽光にわが身をさらしたくない、
と思うようなこともある。
心身ともに健全な状態であれば、
太陽は私共に恩恵をもたらす。
様々な恩恵を
太陽から受けているのは間違いない
事実にも拘らず、
心身を病んでいるときは、
逆効果になることもある。
春夏秋冬、
それぞれの太陽は、
各々の柔らかさ、
するどさ、
痛さ、
透明さ、
暖かさ
とふんだんに持つ顔を見せる。
絶え間なく命の炎を燃やし続けてくれる。
身を削って地球上の生物に、
生気の源を与えてくれる。
サラリーマンにとって、
太陽のような存在とは誰だろう。
妻であり、子供だろう。
あまりにも身近で、
その存在価値を
ときにはうるさくも感じてしまう
家族だろう。
執筆日:1998/09/19(土)
編集後記
身近な存在ほど、
その大切さに気付きにくいものです。
家族も、健康も、毎日の暮らしも、
失って初めて
その価値を知ることがあります。
日常にある「当たり前」へ
感謝する気持ちを忘れずにいたい
と感じました。
👉第135話はこちら
教会|人が集まる場所には意味がある

