教会というと、
信仰を持つ人だけが集まる場所
という印象を持つ方もいるかもしれません。
第135話は、
教会との自然な関わりを通して、
人が安心して集える場所の大切さ
について綴った一篇です。
宗教だけではなく、
人とのつながりについて考えさせられます。
人が集まる場所には意味がある
日曜の朝、
私の妻は
近くにあるアメリカンスクールへ行く。
学校内のホールで行われる、
礼拝に参加するためだ。
彼女はクリスチャンである。
アメリカンスクールにある、
教会のメンバーになっている。
私共の住んでいる近くには教会が多い。
そして、
外国人の牧師が多く住んでいる。
元々彼女は英語を学ぼうとして、
近くに住む外国人牧師の家族たちと
親しくなった。
そしてごく自然に洗礼を受けた。
私は無関神論者(むかんしんろんしゃ)である。
つまり、
神を信じるも良し、
信じなくとも良し、
という考え方ではあるが、
自分自身現在は神に関わっていない、
という者である。
もちろん妻は、
私を勧誘したりはしない。
教会で何か催しものがあると
彼女から誘われるが、
私が行ってもいいな、
と思うようなときには出かける。
結構色々有意義なことを催す。
特に私は音楽が好きなので、
コンサートなどあると好んで出かけて行く。
国際色豊かなその教会は、
外国からくる著名なプレイヤーなども、
教会同士のつながりで呼んだりする。
バザーなども掘り出し物があったりして、
結構楽しい。
私はずいぶんと都合のいい利用をしている。
日本では、
宗教と日常生活が密接には結びついていない。
つまり、
教会と同じような機能を持った組織がない。
お寺でも説教があるが、
教会へ行くほど気楽に入って行けない。
通常お寺には、
死にまつわる行事がないと行かないし、
家庭で祈るにも道具が必要だったりして、
合理的でない部分が多い。
その点、
教会は行きやすい。
線香くさくないし、
祈るにも何の道具もいらない。
要するに難しくない、
これが一番だ。
聖職者やクリスチャンにならなくてもいい。
私のように、
都合にあわせて近くの教会とつきあうのも、
決して悪いことではない。
執筆日:1998/09/20(日)
編集後記
人は、
一人だけでは生きていけません。
安心して集まり、
語り合える場所があることは、
とても大切なことなのだと思います。
信仰の有無を超えて、
人とのつながりを育てる場の価値を
改めて感じました。
👉第136話はこちら
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