「言わなくても分かる」という阿吽の呼吸。
しかし1998年の私は、
妻とのやり取りや会社での経験から、
阿吽の呼吸も
話し合いなしには生まれないと考えていました。
阿吽の呼吸は話し合いから生まれる
英語で阿吽の呼吸を説明することは、
非常に難しいと思う。
日本の文化、習慣、それに微妙な
感情や気持ちのやりとりを表す日本語で、
外国人に説明しづらいものは多い。
良くいえば、
日本人は感情が繊細であり、
奥が深いといえる。
逆にいえば、
国際的な感覚が身につきづらい、
ともいえるのだろう。
昨日、
とうとう我社でも、
いまをときめく、
ISO(イソ・国際標準化機構)を取得しようと、
専門家の講師を招いて勉強会をやった。
私は工場に出張して講義を聴いた。
勉強会でつくづく感じたことは、
日本人は文書にまとめて規格作りをしたり、
決め事を契約書にまとめたりするのが、
非常に苦手な民族なのだな、
と思った。
文書にすると、
すぐに構えてしまい、
なんとなくギスギスしてくる。
互いに分かっていることを、
いちいち文書にすると、
却ってわだかまりが生じてしまうのではないか、
と心配する。
文書などにせず、
阿吽の呼吸でやればいい、
と言う人さえいる。
自分勝手な阿吽の呼吸を主張したがる人が多い。
私は妻に、
夫婦は阿吽の呼吸でなくちゃいかん、
と主張して、
よく言い合いになった。
彼女にいわせると、
話してくれなければ分かるわけがない、
というのだ。
彼女の言う通りだ。
話さなければ、
互いの理解は誤解になる。
充分に話し合いながら阿吽の呼吸を
育(はぐく)むことが、
自然なのだろう。
従って、
その境地になるまでは、
かなり時間がかかることになる。
私のように、
早とちりの人は大いに注意すべきだ。
やはりじっくりと、
互いに話し合うべきだ。
阿吽の呼吸は、
相互の微妙な気持ちに触れる、
日本独特な奥の深い情感だろう。
大切にしたいもののひとつ、
と私は考えている。
心の存在を確認できる気がするからだ。
執筆日:1998/11/06(金)
編集後記
28年前の私は、
「言わなくても分かる」
という考え方を強く反省していました。
阿吽の呼吸も、
まずは話し合い、
理解し合う時間があってこそ
育つのだと思います。
👉次回記事「第183話」はこちら
知ったかぶり|知ったかぶりをしてしまう理由


