1998年の私は、
「やばい」「びびる」などの言葉が
日常的に使われることに違和感を持っていました。
言葉は時代とともに変わりますが、
その変化をどこまで受け入れるべきなのでしょうか。
変わり続ける言葉への違和感
いつの時代も、
我々年代(50前後)の者たちが
若者に向かって、
「いまの若い人は言葉使いが乱れている」
というのだろうが、
「いまは若者だけでなく、
いい大人も言葉使いが乱れている」
といわざるを得ない。
「びびる」、「やばい」などは、
あるていどの年齢で、
良識のありそうな方でも、
結構使っているのを耳にすることがある。
私は生まれた土地柄、
あまり言葉使いの奇麗な場所ではなかっただけに、
奇麗な言葉、
汚い言葉に敏感なのかもしれない。
特に前述した「びびる」、「やばい」
などという言葉は、
私たちが若いころ、
突っ張っていたころに好んで使った、
チンピラ言葉だったように記憶している。
手持ちの国語辞典を開いてみると、
二十年以上前の辞典には出ていない。
五年から十年前の辞典なら、
出ているものもある。
辞典によれば、
言葉としてはむかしからあったようだ。
しかしどう考えても
いい言葉としてのイメージは皆無だ、
と思うが。
商談中にこのような言葉でやりとりをしていると、
やくざ映画でも見ているような驚きがある。
「先日の注文、
納期に間に合わなかったらやばい
と思いましてね、必死でしたよ」
「私も『間に合わない』、
って電話をもらったときは、
びびりましたよ」
まるで、麻薬取引のやりとりだ。
そんな中で
つられて
「やばい」
とかいっている自分に、
さらにハッと驚く。
こういう言葉も
互いに違和感がなければ使用してよい、
ということなのであろうか。
それともできるだけ使用せずに
会話をしたほうがよいのか。
テレビ番組で
女性のアナウンサーが、
紹介された食べ物を口に含み
「でかくて、うまいです」
と言っている。
言葉も世紀末か。
執筆日:1998/11/02(月)
編集後記
28年前の私は、
言葉の乱れを強く意識していました。
今では当たり前になった言葉も多く、
時代によって
言葉への感覚が変わっていくことを改めて感じます。
👉次回記事「第179話」はこちら
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