洗礼式【第144話】

人には、
それぞれ支えとなるものがあります。

宗教であったり、
家族であったり、
自分自身の信念であったり。

第144話は、
洗礼式への参列を通して、
「信じること」と「生き方」
について考えた一篇です。

人は何を信じて生きるのか

先週の土曜日、
妻の誘いで洗礼式に参列した。

キリスト教の洗礼式で、
以前にも一度参列した経験がある。

それは妻の洗礼式で、
信者が日本人ばかりの教会で行われた。

今回の洗礼式は、
国際色豊かな教会で、
夫婦など三組の方が洗礼を受けた。

日本人二人と、
シンガポール人の三人が、
証(あかし)といって
洗礼を受けるに至ったいきさつを、
皆の前で話す。

英語で話す場合は、
参列している
英語のできる日本人が通訳をしてくれる。

証を述べたあと、
牧師の言葉に従って誓いを立てる。

そして演台に用意されている、
水をはった風呂桶より大きな器に、
牧師の手に委ねた全身を浸(つ)けて、
身を清めるセレモニーで洗礼式を終える。

私の説明は、
適切ではないかもしれないが、
情景は想像していただけると思う。

洗礼を受ける意味は、
過去の自分を改め、
新しい自分、
神に目覚めた自分を、
公にすることだそうだ。

もちろん、
洗礼を受けたらその日から、
聖人君子よろしく品行方正になる、
ということではない。

そんな風になれるわけもない。

現実に生活している俗世界の人間が、
洗礼を受けたからといって、
すぐに生活態度が変わるというものでもない。

毎日祈りを欠かさず、
食事の前や、
何か行動に入る前に必ず祈る。

常に神を意識して暮らしてゆく。

そういう生活態度をきちんと守り続けてゆく。

ぐうたら者には真似のできることではない。

サラリーマン解放(教)は、
信じるものが神であれ、
家族であれ、
自分であれ、
いずれであっても生活態度、
心構えをしっかりしないとおぼつかない。

サラリーマン(教)でいるよりも、
ある部分ではとても大変になるだろう。

執筆日:1998/09/29(火)

編集後記

信じる対象は人それぞれです。

しかし、
どのような道を選んだとしても、
その考えを
日々の行動で積み重ねていくことが
大切なのだと思います。

この文章を読み返しながら、
「生き方は毎日の積み重ねで形づくられる」
ということを改めて感じました。

👉第145話はこちら
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