徹する【第115話】

人は何か一つのことに打ち込めたとき、
大きく成長するのかもしれません。

第115話は、
「徹する」
という言葉を通して、
人生を懸けて取り組むことの
意味について綴った一篇です。

今読んでも色あせない、
強いメッセージを感じます。

人生を懸けられるものはあるか

何事にも徹することが大事だ。

サラリーマンも徹すれば、
それなりにやり甲­斐­(がい)もあれば、
おもしろくもある。

斯界(しかい:その道を専門とする社会や、
特定の学問・芸術・実業などの分野)で
成功するか否かは、
徹しきれるものを
見いだせるか否かにかかっている。

つまり、
明けても暮れても四六時中、
そのことについて、
夢中になれるかどうかだ。

だから、
サラリーマンでもいいわけだ。

ではなぜ、
私がサラリーマンでは駄目だ、
と思ったのか。

理由はふたつある。

死ぬまではできない、
という理由と、
サラリーマンに徹しきれるものを
見出せなかったからだ。

サラリーマンに徹している人でも、
ある時点で自分で起業でもしない限り、
当然行き詰まってしまうのは
ハッキリしていることだ。

さもなくば、
定年と同時に生きがいを失い、
急速に老け込み、
半分死んだようになってしまうのを
覚悟しているかだ。

――いや君、
趣味というものがあるじゃないか、
徹すれば奥も深いんだよ。

趣味で充分に老後を過ごせるではないか。
と、いわれるかも知れない。

しかし、
趣味は飽くまでも趣味だけでしかない。

それこそ趣味を超えない限り、
徹しきったとは言えないのではないか。

私に文才があるのかどうか、
今の私には分からない。

ただ、
もの書きに徹してゆく。

ずっと死ぬまで徹してゆこう、
と思っている。

もちろんそれだけでは、
才能は磨かれないし、
ましてや銭を稼げるはずもない。

努力あるのみだろう。

どれだけ才能に恵まれていたとしても、
努力もせずに長く
斯界で活躍を許されるはずがない。

普通の頭をもって、
数年単位で計画し、
努力し徹すれば、
たいていのことは
生活ができる水準には達する、
と私は信じている。

その上の水準がまさに才能であり、
徹するだけでは得られない物であると思う。

天性だ。

執筆日:1998/08/31(月)

編集後記

何か一つのことを続けるのは、
決して簡単ではありません。

それでも、
長い時間をかけて積み重ねた努力は、
自分だけの財産になります。

この一篇を読み返しながら、
「徹する」という言葉の重みを
改めて感じました。

👉第116話はこちら
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