小さな畑でも、
手をかければ野菜は育つ。
人生も同じなのかもしれない。
すぐに結果が出なくても、
毎日少しずつ積み重ねていくことで、
やがて形になるものがある。
小さな自給自足と、物書きとしての種まき
昨晩、
会社から直接実家へ足を向けた。
一昨年父が亡くなり、
母は独りで気ままに暮らしている。
私は月一回、
彼女をたずねることにしている。
母は小さな書道教室を開くかたわら、
展覧会に出品したり、
所属する書学院の手伝いをしたり、
何かと忙しくしている。
生前父は、
裏山に造った畑で、
かなり本格的な野菜作りをしていた。
母は独りになってから、
ノミの額ほどもない裏庭で、
野菜を作り始めた。
収穫したきゅうり、
トマト、ナスなど、
夏の野菜は結構食べられる。
こんな狭い畑(といえるのかどうか)でも、
独り暮らしだと毎日食べるくらいは
自給自足できるらしい。
母の生活は、
父の遺族年金を主な収入源とし、
わずかな書道の教授料で何とかやりくりしている。
幸い持ち家なので、
家賃はかからない。
そんな生活での家庭菜園は、
食卓に潤いを与えてくれる。
もちろんそれだけで食べては行けない。
わずかな自給自足にすぎない。
私の現状に良く似ていると思った。
私も丹精して書いているのだが、
ほとんど生活の役には立っていない。
いまは種まきの時期だ。
小遣い程度の収入を得るまでに、
たぶんそれほどの時間はかからないであろう。
けれどもそれだけですぐ
生活できるようになるであろうか。
自活できるようになるまでは、
少々時間がかかるであろう。
千日解放を書いている期間が、
まさに家庭菜園のような、
楽しさも含めて良い時期なのかもしれない。
唯一の違いは、
野菜は作っても時とともに腐ってしまうが、
小説は作ってストックしておけることだ。
必要なときに取り出し、
さらに調味料を加えてから出すこともできる。
執筆日:1998/07/25(土)
編集後記
家庭菜園は、
すぐ大きな収穫を生むものではありません。
それでも、
毎日少しずつ育っていく姿には、
不思議な喜びがあります。
文章を書くことも、
どこか似ているのかもしれません。
👉第79話はこちら
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