団塊の世代。
同じ世代の人口が最も多い、
ひとつの「塊(かたまり)」として
存在してきた人たち。
その塊は、
常に競争の中に置かれてきました。
私は団塊の世代のぶらさがり
私はちょうど団塊の世代にぶら下っている。
昭和25年の早生まれで、
24年生まれの人間と同じ学年になる。
サラリーマン社会にいると、
団塊の世代は様々な意味で、
一番中途半端な世代に位置しているのではないか、
と思うことがある。
若い部下の気持も、
年上である上司の気持も分かってしまい、
逆に自分はどうすべきなのか、
という決断に苦しむことがある。
自分の意見があるようで、
実は確固たる意見を持っていないからなのだ。
また、
持っていたとしても発言だけして実行しない。
明治生まれの人間が持っていたような、
絶対に動じないという確固たるものはない。
でも一生懸命に、
様々な点を鑑(かんが)み、
決断する。
この方法は決して間違いではなく、
時にはとても良い結果をもたらす。
私はかつて団塊の世代という塊(かたまり)は、
意思薄弱な集団になってしまっているのではないか、
と思ったことがある。
人間が多すぎて、
常に競争を強いられてきたからだ。
小学校、
中学校、
高校、
大学と、
常に受験競争。
運動部は当然競争があり、
社会に出て出世競争、
結婚適齢期には相手の獲得競争、等々。
すべて競争することにエネルギーを費やされてきた。
それも自分の意思ではない競争ばかりしてきた。
気がつくと、
人の面倒をみたり、
適切な判断をしたり、
確固たる信念で決断したりすることが、
不得手になっていた。
勿論そんな人ばかりでないのは明白だが、
団塊の世代で、
中間管理職をしている人には、
思い当たる人も少なくないのではないか。
敗戦後、
既に50年を超えた。
我々団塊の世代も、
もう過去の塊から抜け出して、
独立独歩のリハビリを始めようではないか。
そして、自己を解放しよう!
執筆日:1998/06/08(月)
編集後記
団塊の世代も
既に後期高齢者となりました。
振り返れば、
どこか「中途半端」と言われ続けた世代
だったのかもしれません。
それでも、
時代の変化に適応していく人と、
取り残されてしまう人。
その差が極端に現れるのも、
この世代の特徴なのかもしれません。

