会議【第22話】

当時私が在籍していた会社の会議は
時間の無駄遣いそのものでした。

何一つ役にたたなかったのです。

もちろん、そんなことはない、
当社の会議はとても有意義だ、
という方もおられると思います。

時間つぶしの代物

会議ほどバカバカしく、
時間つぶしの代物はない。

サラリーマンは雇われの身だから、
トップからこうしろ、
ああしろ、
と命令されれば、
非生産的であってもやらざるを得ない。

好んで会議を開くトップは、
決断を逃げているか、
自信をなくしているかだ。

会議を開き、
責任は私だけではない、
皆にもあるのだ、
といいたいのだろうが、
そんな経営者だったら辞めるべきだ。

自分の方針に自信が持てなくなったら、
経営者は静かに身を引くべきだ。

それを隠すため、
民主主義を振りかざし、
やたらと衆智を集めて責任分担する。

そんなことは、
決定事項の責任を薄めようとしているだけだ、
と思われてもしかたがない。

骨のある経営者がほんとうにいなくなった。

必然、
社員にも骨のある者がいなくなる。

そのくせトップはないものねだりをする。

会議などでそんなものは出てこやしない。

不景気の続くこんな時代にこそ、
責任をとれる力強い経営者が欲しいと願うのは、
サラリーマンの自然な期待だろう。

経営者が、
平社員レベルに責任を求めようとするのは
間違っている。

議論を戦わす場になっていない会議は、
責任追及・擦り合いの場と化しているだけだ。

その中で
吹けば飛んでしまうような地位を死守しようと、
戦々恐々とするサラリーマンのなんとけなげなことか。

私もそんな一員であり、
家族の柱として、
地域住民の面目を保っているのか。

やはり、独立しなければならない。

自立しなければならない。

会議などせずにすむ、
自分自身の仕事を持たなければならない。

皆が皆、
サラリーマンを辞めてしまっては
うまくないだろう。

それでも
やる気になればできるのだという意識は、
実力と共にいつでも出せるよう
研ぎ澄ましておきたい。

執筆日:1998/05/30(土)

編集後記

サラリーマンでいる間は
数ある会議を有意義なものへと
変えて行く。
そういうスタンスで臨むのが
ストレスを回避する方法かも知れません。

👉第23話はこちら
子供|成長の早さと親の責任