人はなぜ、
結果が保証されない努力を続けるのだろうか。
ワールドカップのような大舞台でも、
その問いは変わらない。
努力と結果の関係について、
改めて考えてみたい。
ワールドカップと千日解放の共通点
昨夜、
ワールドカップの第二戦が行われた。
私はサッカーファンというわけではないが、
テレビ観戦をした。
最終的には第二戦のクロアチア戦も、
第一戦のアルゼンチン戦と同じように、
一点失ったのが致命傷になった。
日本はその一点がどうしてもとれなかった。
ワールドカップにしても、
オリンピックにしても、
四年に一度のビッグイベントで、
選手はそのためにあらゆる犠牲を払ってでも、
まっしぐらに突き進む。
私の千日解放は、
それほどの厳しさはない、
とは言わないし、
それ以上とも言わない。
たしかに千日は三年弱で、
四年よりも短い。
しかし毎日練習練習の連続だ。
毎日欠かさず「書く」練習をしないと文章が鈍る。
スポーツ選手といっしょだ。
ある意味ではスポーツ選手よりも
厳しいかもしれない。
生活を抱え、
仕事を抱え、
解放後のリスクを抱え、
臨んでいるのだから。
千日解放は、
設定された千日という時間内に、
何らかの形でサラリーマンを
解放させなければならない。
二千枚以上となるであろう
原稿を活かすためにも。
私は「サラリーマン千日解放」の目安を、
次のように考えている。
1.原稿枚数が100枚前後の賞、
もしくは賞金100万円以上の賞をとること。
2.年間原稿料収入が今と同じ位になること。
3.千日解放を弛(たゆ)まずに書き続けること。
三条件のうち、
少なくともひとつ以上クリアーできなければ
独立できない。
千日で達成できなければ、
さらに次の千日を設定する。
サッカー選手のように、
継続して希望を絶やさないようにするためだ。
それは、
人生は長いのだから、
という発想からではない。
独立は、
私にとってはライフワークのスタートであり、
物書きは、ライフワークの手段であるからだ。
執筆日:1998/06/22(月)
編集後記
努力は、
必ずしも結果に結びつくとは限りません。
それでも続ける理由があるとすれば、
それは自分自身のためなのかもしれません。
継続することの意味は、
結果の先にあるのだと思います。
👉第46話はこちら
慶弔金という現実|サラリーマンの代表的な見えない負担

