勤労感謝の日【第199話】

勤労感謝の日は、
働く人にとってどんな意味を持つのでしょうか。

1998年の私は、
サラリーマンにとっての
勤労感謝の日を考えながら、
会社員として働くことの気楽さと厳しさ。

そして自分自身が独立へ向かおうとしている
ことを綴っています。

勤労感謝の日に考えるサラリーマンの働き方

本日(1998/11/23月曜日)は年に一度の、
勤労感謝の日である。

もちろん、
年に一度しかないのであるが、
サラリーマンとしては、
年に四、五回あっても良いと思うくらいだ。

日本で最大の納税者は、
サラリーマンなのだから、
もっとサラリーマンに感謝する日があっても良い、
と思うのは私だけだろうか。

サラリーマンにとって勤労感謝の日は、
単なる休日にしかすぎない。

サラリーマンに恩恵のある行事が催されたことなど、
聞いたこともないし、
実際にもないのだろう。

なんとも有り難味のない休日だ。

勤労感謝とは、
常日頃の勤労者にご苦労様、
といって感謝するためなのか、
それとも我々労働者が、
健康で毎日勤労できることに感謝するためなのか、
定かではない。

妻に聞いてみると、
「まず、健康で毎日勤労できることを神に感謝します
 (彼女はクリスチャンである)。
 それから、家族のために働いてくれている人(私だ)に、
 感謝するのです。順番は、決して逆ではならないのです」、
という。

また、
行事がない理由は、
勤労感謝の日は休まなくてはならないため、
疲れを伴う行事はないのだそうだ。

まあ、なんでも休めれば良いのだ、
とも思える。

休んでも給料がもらえるサラリーマンこそ、
気楽で旨(うま)みのある仕事だ。

経営者でない限り、
休みの日にポカンとしていても、
次の週を迎えることができる。

従業員のことなど、
ほとんど考えなくてもすむ。

とことん気楽といえば気楽な稼業だった。

そんなサラリーマンでさえ、
昨今は気楽に考えていたら足を掬(すく)われる時代だ。

ならばいっそ、
独立した方が良いではないか。

私にはもう勤労感謝の日も、
祝祭日もない。

ましてや休んだ上に給料など、
一銭も入ってこない世界へと入って行く。

執筆日:1998/11/23(月)

編集後記

1998年の私は、
勤労感謝の日をきっかけに、
サラリーマンとして働くことについて考えていました。

そして最後には、
自分自身が「勤労感謝の日も祝祭日もない」
独立の世界へ向かおうとしていることを書いています。

2026年の今読み返すと、
会社員として働くことへの違和感と、
そこから抜け出そうとする気持ちが、
はっきり表れている一篇だと感じます。

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