宣伝【第141話】

どれほど良い商品やサービスでも、
知られなければ存在しないのと同じです。

第141話は、
企業の宣伝費を題材にしながら、
本当に価値を伝えるとは
どういうことなのかを考えた一篇です。

価値は、どう伝えれば届くのか

宣伝の価値は、
その結果をみなければわからない。

私の勤務する会社も、
年間数十億円の宣伝費を投入している。

年間の売り上げと比較しても、
かなりの金額だ。

社員の中には、
宣伝費の一部でいいから、
皆に還元してくれないかな、
といったようなため息も聞かれる。

何を言う、
宣伝をせずにこれほど売れたと思うか、
と問われると、
宣伝したから売れたのか、
と思わざるを得ないときもある。

極端かもしれないが、
賽銭(さいせん)が多かったから御利益があったのだ、
拝みが足りなかったから効き目がなかったのだ、
といわれているような気がしてならない。

と言ったら
宣伝に従事する人から謗(そし)りを受ける
かもしれないが、
敢­(あ)えて言いたい。

つまり、
現在かかっている宣伝費は
ほんとうに適正な価格なのか。

テレビCMフィルム一本を
制作するのに数千万円、
下手をすると億までかかるのは異常だ。

それを15秒から30秒流すのに、
もちろんどの時間帯で何回流すか
という条件もあるが、
これまた高額な費用を必要とするのも異常だ。

結果、
売れなくても宣伝業者は責任をとらない。

製造業者も商品に問題があったのだ、
と妙に納得してしまっている。

双方とも、
最終的な宣伝費用は
消費者に負担させるという意識が、
頭の隅にある。

だったら、
宣伝費を使って消費者に還元する
他の方法だってあるはずだ。

一回注­(さ)したら
止­(や)められないといわれる、
麻薬的なテレビCMでも、
知恵を絞れば別の方法で
同じ効果を出せるかもしれない。

今後そんなふうに考えてゆかないと、
生き残れないかもしれない。

サラリーマンにしても
同じことがいえる。

のんべんだらりと過ごしていては、
定年まで持たないかもよ。

執筆日:1998/09/26(土)

編集後記

SNSやインターネットが普及した現在では、
広告だけでなく、
自分自身の言葉で
価値を伝えることができる時代になりました。

私自身もこのブログを通して、
「宣伝」ではなく
「共感」を積み重ねていきたいと思っています。

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