季節感を忘れた暮らし【第127話】

四季のある日本では、
季節の移ろいを感じることも
暮らしの楽しみの一つです。

第127話は、
食べ物や日常の風景を通して、
「季節感」が少しずつ薄れてきた社会
について綴った一篇です。

忙しい毎日だからこそ、
季節を感じる心を大切にしたい
と思わせてくれます。

季節を感じる心を忘れないために

ここ十年数年というもの、
食物に季節感がなくなっている。

私は季節感などには無頓着な方であり、
むしろ鈍い方である。

そんな私でさえそう感じるのは、
かなりむちゃくちゃになっている、
ということだ。

それでも秋の味覚は、
一年の中では季節感が
比較的はっきりとしているほうだろう。

暑い暑いと盛んに言っていた盛夏。

晩夏を爽やかな風が吹き始めたと思ったら、
あっという間に秋は過ぎ去って行く。

夏と冬に挟まれた季節で、
短い命が必要以上に
秋を感じさせるのかもしれない。

まさしく生活にくさびを打つがごとく、
くっきりと入り込んでくる。

果物では、
栗、なし、柿。

野菜では
松茸、
魚では
さんま。

これらは秋以外に店頭では通常見られない。

栗は、
甘栗など加工したものは一年中あるが、
生の栗は秋でないと賞味できない。

秋以外の季節に、
なしや柿が店頭に並ぶのを
あまりみたことはない。

松茸は輸入物もあるので、
秋以外に販売することも可能だろうが、

敢えてそうしていないようだ。

松茸ほど秋がピッタリの食物もない、
ということを
当然八百屋は熟知しているからだろう。

さんまは缶詰があるので、
食べようと思えば、
加工したものを口にすることはできる。

しかし生を煮たり焼いたりしては食せない。

秋はまた、
人事異動の季節でもある。

これは、
春の四月ほど大々的ではないが、
九月に異動のある会社も少なくない。

サラリーマンにとって、
季節感を感じるのはどういうときだろう。

満員電車で、
真新しいスーツや学生服を見て春を、
触れ合う素肌や車内の人工的な冷風で夏を、
朝のラッシュアワーに学生が戻ってきて秋を、
着膨れで冬を、
それぞれ識­(し)る。

もう少し情緒豊かな季節感が欲しいものだ。

執筆日:1998/09/12(土)

編集後記

便利な時代になり、
一年中さまざまな食べ物が
手に入るようになりました。

その一方で、
「旬」を待つ楽しみや、
季節の変化を感じる機会は
少なくなったようにも思います。

何気ない日常の中にも、
四季の豊かさを見つけていきたいものです。

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