お盆は
日本人にとって
身近な行事のひとつです。
子供の頃から
当たり前のように続けてきた習慣も、
年齢を重ねるにつれて
見え方が変わってきます。
今回は、
お盆という行事を通して
家族や人とのつながりについて
考えさせられる一篇です。
祖先より先に大切にしたいもの
私たちの年代(48)は、
七十代、八十代の人たちほど、
お盆に対して執着はない。
先祖を敬うという気持ちはある。
しかし現実は、
自分がよく知っていた人でもない限り、
偲(しの)ぶことさえできないだろう。
実際の墓参りにしても、
自分がものごころついてから
亡くなった人でなければ、
現実味はない。
顔もわからないような、
系譜だけで祭られたような人の
墓参はなじまない。
私が幼かったころ、
父方の祖父母が亡くなり、
両親に連れられて、
檀家である寺へ何度か行った。
父は次男だったので、
長男である伯父がすべてを取り仕切っていた。
お盆のときも、
同じように集まっていたのかどうかは、
覚えていない。
ただ年々墓参りの回数が少なくなって、
日本が猛烈な勢いで
右肩上がりの成長を始めたころには、
私は父方にせよ、母方にせよ、
ほとんど祖父母の墓参りに行っていない。
元々お盆は、
「うら盆ともいい、
[仏教で]七月または八月の十五日に
祖先の霊をまつる行事」
(三省堂第②版現代国語辞典)とある。
しかし前述したように、
顔もしらない祖先の霊よりも、
身近にいた人の霊を優先するのが、
娑婆(しゃば)に生きる者の仁義だろう、
などと思ってしまう。
そんなわけで、
私は実父と義理の母を亡くしてからは、
二人の墓参りは必ずするようになった。
現代では血のつながった者同士でも
疎遠になる時代だ。
お盆のような習慣が、
全国的な休みを許す力になっているのであれば、
捨てたものでもない。
年に一回、
いずれにしても子は故郷へ帰り、
親は子に帰って来いといえるシーズンなのだ。
それだけでも効用は何物にも代え難い。
お盆で祖先の霊を慰める前に、
まず生きている者同士の
こころをいたわりあうためにも。
執筆日:1998/08/13(木)
編集後記
お盆の過ごし方も
時代とともに変わってきました。
しかし、
家族や故郷を思う気持ちは
今も昔も変わらないように思います。
振り返って、
人とのつながりの大切さを改めて感じました。
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