副業と会社員は両立できるのか【第54話】

人は、
二つの道を同時に歩めるのだろうか。

生活のための仕事と、
本当にやりたいこと。

その両立は理想のようでいて、
実際には大きな葛藤を伴う。

二足の草鞋(わらじ)の難しさについて、
改めて考えてみたい。

二足の草鞋(わらじ)に苦しむ現実

このところ、
社長からお目玉を食う回数が増えた。

「君は勉強しているのかね。
 本は読んでるか。
 どんな本を読んでいるのかね」
と質問された。

思わず
「そりゃあ、作家目指してるくらいですから、
 それなりに」
と答えてやりたかったが、
飲み込んで、しどろもどろに
「え、……業界紙を、……」
などと言ってしまった。

社長は、
先日の朝礼と、
購買会議の段取りや演出が良くなかった、
と再度同じことで私を叱責(しっせき)した。

でも、よく考えてみるに、
物書きになろうとして、
もうすでに二ヶ月近い日数を、
毎日三時間から四時間書き続けている。

ややもすると、
仕事よりも
執筆の方に重きを置いている瞬間もある。

小言の対象になった事柄は、
自分では手抜きをしたつもりはなかった。

しかし社長からみれば、
迫力が欠けていたのか、
心もとなく感じたのだろう。

最大限の努力はおろか、
最小限の気配りもしていないように
見えたのかもしれない。

海のものとも山のものともしれない執筆に、
アフターナインとはいえ、
これほど打ち込んでしまうとは。

今後、
最小限の気配りだけは、
認識してもらえるようにしないといけないな、
と反省した。

カッコ良く、
サラリーマンと物書きの二足の草鞋を履くのは、
たぶん私には無理だろう。

かといって、
いまサラリーマンに決別するのは、
家族を路頭に迷わす結果になってしまう。

少なくとも、
辞めても食べていける収入の目途がつくまでは、
何としても続けなければならない。

そのためには、
あまり仕事ができ過ぎても良くないし、
仕事の能力を落としてもまずい。

具体的な言い方をすれば、
目立ち過ぎて、
大きな仕事に抜擢されても困るし、
できないと見られ、
排斥されてもいかんということだ。

陰険というなかれ、
非常に難しいのだ。

ただ、今回、
社長にああまで言われては、
私の本意ではないが、
社長絡みの仕事に関しては、
少し心してかかるようにしないといけない。

先週、今週と、
あまり良いバイオリズムではなさそうだ。

物書きになろうと思い、
執筆活動を始めてから
約二ヶ月になると前述したが、
最初のころはできるだけカッコ良く、
「サラリーマン千日解放」させようと考えていた。

つまり、
途中で賞をとっても
サラリーマンは辞めずに千日は続ける。
などと甘く考えていた。

そんな甘えは捨てなくてはならない。

もし、途中でも、
生活の目途さえつけば、
千日前でもサラリーマンを解放させなくてはならない、
と現在は強く思っている。

3ヶ月前、
突然志を抱いて作家活動に入ってから、
日の明るい内に帰宅し、
最も大切といわれる人間関係は
最小限のつきあいに絞り込み、
プライベート時間には
一切会社の仕事はせず、
土曜・日曜、出張中も書くことに励んできた。

アフターファイブならぬ
アフターナインを標榜­し、
飽きることなく続けている、

生まれて初めての経験は、
いまでは本物だと充分に確信が持てる。

しかし、
わずかな不可能性を案じ、
生活ができるようになるまでは、
いやでも不得手な二足の草鞋に頼らなくてはなるまい。

自由人が言っていた。

サラリーマンでも
課長、部長をやってゆくのは甘くはないぜ、
のほほんとしていてはできないよ、と。

だから、
今が一番苦しい時期になるのだろう。

日常生活で、
まったく生­業(なりわい)にはなっていない文筆と、
本業であるサラリーマンとの
力を入れるべきバランスが崩れ始めている。

気持の上では、
明らかに二足の草鞋をはいているわけだから。

執筆日:1998/07/01(水)

編集後記

夢を追うことは、
決して格好の良いことばかりではありません。

現実との間で揺れ続けながら、
それでも前に進もうとする。

その葛藤の中にこそ、
本当の挑戦があるのだと思います。

👉第55話はこちら

人はなぜ花を愛(め)でるのか|余裕と感性の関係を考える