いじめは、
なぜなくならないのだろうか。
時代が変わっても、
その形を変えながら
繰り返されている。
人間の集団の中で起こるこの現象には、
避けられない本質があるのかもしれない。
人間の本性と向き合う現実
昔もいじめは存在した。
特にここ数年、
いじめによる自殺や、
いじめられた仕返しにと、
凶悪犯罪に及ぶようなことも起こった。
人間が三人以上になると、
仲間はずれの現象は起こる。
仲間はずれになる過程で、
いじめも起こるわけだが、
それをものともせず
上手にかわす者もいれば、
打たれても打たれても大丈夫な、
打たれ強い者もいる。
また、
みるから標的になりやすい者もいる。
人間社会では、
いじめの行為をする者が一番悪い。
しかし、
弱肉強食の動物社会では、
ごく自然のことかもしれない。
第一、
打ち勝たなくては、
食われてしまうだろう。
私も昔、
小学生低学年のころまでよくいじめられた。
身体の欠陥を指摘され、
子供心にすさまじく傷ついた記憶がある。
驚くのは、
そういうことを平気で人前で冷やかす
輩(やから)の中に、
五十前後のいい大人がいることだ。
いまだに存在する。
たとえ、
その他のことに関しては、
どんなに素晴らしい人でも、
私は絶対にその人を信用しない。
その種の人間は、
追いつめられ、
ギリギリ最後のところでは、
必ず本性を現わすからだ。
最近は張り倒してやりたい気持よりも、
相手を哀れむ気持の方が強い。
小学生低学年くらいなら許せるし、
大人になって行く過程で是正されるだろう。
しかし五十にもなっては、
これから先、
なおることもあるまい。
ただ私が感謝しているのは、
幼少時にいじめられた経験が、
頼れるのは自分しかいない、
という独立心に目覚めさせてくれたことだ。
いまでは信頼のおける妻や家族がいるので、
孤独感はないが、
独立独歩の精神はやはり健在であった。
千日解放の精神こそが、
その顕著な証左であろう。
執筆日:1998/06/24(水)
編集後記
過去の経験は、
消えることはありません。
しかしそれは、
弱さではなく、
自分を支える力にもなり得ます。
どう受け止めるかで、
その意味は大きく変わるのだと思います。
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