パソコンが普及し、
文章を書く手段は大きく変わった。
便利になった一方で、
失われたものもあるのではないだろうか。
手書きとワープロ。
その違いを改めて考えてみたい。
ワープロ時代に失われるもの
今やワープロの時代。
職場での文書作成、
手紙類を書くのもすべてワープロ。
私は年末になると、
毎年200枚前後の年賀状を書く。
一昨年まではすべて手書きだった。
11月頃から始めて、約一ヶ月をかけて書きあげていた。
それが昨年、
パソコンを購入して最初にやったことは、
年賀状の作成だった。
たしかに、非常に奇麗な仕上がりだ。
大変なのは、
最初に住所を入力するときだけだ。
一度入れてしまえば、
あとは、
いつでも、
寝ていても、
自動的にやってくれる。
私もついに年賀状を
ワープロで書いてしまったわけだ。
仕事関係で多くの人が目にするような文書は、
ワープロであれば間違いは少ないし、
読み易いと思う。
小説やエッセイの原稿なども、
ワープロの方が読み易いし、
書く側にとってみれば推敲しやすい。
しかし作家によって、
それぞれ違いがあるようだ。
手書きだと、
手の動きで脳を刺激し、
創造力あふれるものが書けるから、
絶対にワープロは使わない、
という人もいる。
私はワープロがなかったら、
物書きになろうとしたかどうか疑わしい。
それほどワープロが
私に果たした役割は大きい。
あくまでも商売道具のひとつであるが、
いまでは、
ワープロなしで書くことはできないだろう。
手書きのように、
創造力を刺激するかどうかは分からないが、
良き道具であり、離せないものになっている。
しかし、やはり、ワープロはワープロでしかない。
月並みな言い方をすれば、
温(ぬく)もりが感じられないのだ。
私は、
親しい人たちに手紙や封書を送るときは、
できる限り自分の手で書きたい。
肉筆の良さが改めて見直される時代だろう。
執筆日:1998/06/21(日)
編集後記
便利さと引き換えに、
失っているものがあるかもしれません。
効率だけでは測れない価値を、
どこまで大切にできるか。
それもまた、
これからの時代の選択なのだと思います。
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