サラリーマンには、
見えにくい出費がある。
その中でも、
代表的な慶弔金は
決して軽い負担ではない。
なぜこれほどまでに、
当たり前のように支払われているのだろうか。
サラリーマンの代表的な見えない負担
サラリーマンにとって、
慶弔金は
経費で認められても良いのではないか
と思うくらい、
ある年齢で出費が嵩(かさ)む。
私は、3、4年前に、
年間100万円を超えてしまった。
親族の不幸が影響したこともあるが、
年間可処分所得が600万円そこそこの
サラリーマンにとって、
100万円という大金が
慶弔金で消えてゆくのは忍びなかった。
年齢が50前後になると、
身内や知り合い、
ときには友人さえも旅だって行く。
自分が50歳であれば両親は、
80前後にはなっている。
昔は人生50年と言ったくらいだ。
同輩が旅立っても何の不思議もない。
特にサラリーマンは、
社内もしくは取引先で不幸があれば
知らん顔はできない。
歓送迎会を欠席するのとはわけが違い、
小額(会社出費とは別に個人的に)
でも包まなければなるまい。
ピークのときには、
一週間に月、水、木、金と、
ほとんど立て続けにあった。
相手によって金額の違いはあるが、
3000円、5000円、10000円
くらいの幅になる。
月10回もあった日には、
すぐ小遣い一月分くらいの金額になってしまう。
現在の私には、
弔事の方が圧倒的に多い。
それこそ年間を通じて弔事だけのこともあり、
誰からの香典返しか分からなくなる始末だ。
慶事の場合は代表的には結婚式だが、
一回出席するだけで、
小遣い一月分程度の出費になってしまう。
日本の社会は、
どうしてこういった類の出費が
こうも多いのだろう。
その上、
――私などもその仲間だが――
金額を申し合わせて包んだりする。
明らかにつきあいなのだ。
私くらいになると、
慶事も弔事も、
もうもらうことは少ないだろう。
いまさら妻が妊娠するわけでもない。
自分が死んだら、
実際受け取るのは遺族になるわけだし。
要するに出て行く一方なのである。
執筆日:1998/06/23(火)
編集後記
社会の中で生きる以上、
避けられない出費もあります。
しかし、
それが本当に必要なものなのかを、
一度立ち止まって考えることも大切です。
当たり前を疑うことが、
生き方を見直すきっかけになるのだと思います。
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いじめはなぜなくならないのか|人間の本性と向き合う現実

