パチンコは、
かつては気軽な娯楽だった。
しかし今では、
明らかにギャンブルとしての性格を
強めている。
なぜ人は、
それでもやめられないのだろうか。
ギャンブル化した現実と心理
いかにもサラリーマンの遊びという響きがある。
非常にせせこましく、
左手でひとつひとつ玉を
小さな穴に入れて、
それを右手で弾(はじ)く遊びだった。
時間はかかるが、
それほど金のかかるものではなかった。
いつからか、
玉は自動で送られ、
右手も機械に小銭を挟んでおけば、
自動的に動いてくれる
コンピューターの台に変わっていった。
同時に金のかかり方は異常になった。
一旦コンピューターの絵柄や数字が揃えば、
溢(あふ)れんばかりに玉がたまってくる。
10万円負けるときも、
20万円儲かるときもある。
人間不思議なもので、
負けた金額よりも
勝った金額を覚えているものである。
負けがこんできても、
一番儲かったときの金額を基準に、
負けに向かって、
まっしぐらに突き進んで行ってしまう。
つまり、
20万円の儲けを体験している人は、
18万円負けていても
あと2万円までつぎ込めるものと錯覚する。
今のパチンコは、
情緒も何もなく、
明らかにギャンブルである。
私がパチンコにのめり込んでいたころ、
海外出張でたまたま公営ギャンブル場に行く
チャンスを得た。
嫌いではなかったので、
一晩中遊んでしまった。
それでも、
会社の帰りがけにパチンコをして負ける金額
よりも少なかった。
ちょうどそのころが、
パチンコ産業のピークだった。
バブル経済のピーク時でもあった。
当時パチンコ産業は、
自動車産業よりも大きく、
上場を目指す企業もあった。
小さな町のパチンコ店でさえ、
一日の売り上げが1000万円を超す勢いだった。
現在、不景気が、
パチンコ店の景品替え現金輸送車や、
景品交換所を襲わせたりしている。
パチンコ店自体も以前の活況はない。
しかし、
いつの時代もギャンブルが
大衆(一般市民)に
凌駕される(無力化される)ことはない。
そこに必要悪がはびこり、
不健全なものにしてゆく。
執筆日:1998/06/17(水)
編集後記
人間は、
過去の成功体験に引きずられるものです。
特にお金が絡むと、
その傾向はより強くなります。
だからこそ、
冷静に現実を見ることが、
何より重要なのだと思います。
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