1998年は、
社会全体に大きな衝撃を与える事件が
相次いだ時代でした。
第118話は、
毒物混入事件をきっかけに、
人の命や社会の在り方について
考えた一篇です。
事件そのものではなく、
その背景にある人間の心について
問い掛けているように感じます。
社会の変化と人の心
夏の納涼大会で起こった
毒入りカレー事件をきっかけに、
お茶、痩せ薬、缶入りコヒー、缶入りウーロン茶と、
連続して毒物混入事件が起こっている。
まだひとつも犯人逮捕には至っていない。
最初に起こった毒入りカレー事件が
なかなか解決しないので、
連鎖反応的に模倣犯罪は起こっている。
私は、
このような犯罪は、
現代社会では起こり易い気がする。
ひとむかし前、
人生ゲームという名前のゲームがはやった。
この前後からテレビゲームもピークに達し、
ややもすると
人生もゲーム化していく風潮が出てきた。
犯罪も、
昔みたいに貧困や無知からくるのではなく、
軽いのりで、
罪の意識がほとんどなく、
ゲーム感覚でひき起こす事件も増えている。
ストレスが多く、
または刺激が少なすぎて
精神的にまいってしまった人が、
はけ口の対象を、
不特定多数の人に向けてしまう。
そのきっかけを作ったのが、
今回の場合は毒入りカレー事件だ。
通常、
犯罪には
利害、怨恨などが原因となり得るものだが、
一連の模倣犯罪にはそんな意識すらないだろう。
思想を盾にした、
無差別テロの場合は無性に腹がたつが、
ゲーム感覚で犯す不特定多数の無差別殺人は、
不気味ささえ感じる。
人間らしさを全く感じられない。
そこにはなんのドラマもない。
「生きる」ことに執着しないと、
死の恐ろしさはおろか、
生きる素晴らしさも分からない。
しかし生きていることや死の怖さを、
肌で実感することのできない人が増えている、
と思うのは私だけではないはずだ。
平凡な日々の暮らしから、
それらを見出すには、
それ相応の努力もせずには
得られるわけはないのだが。
執筆日:1998/09/03(木)
編集後記
社会は変わっても、
人の心について考える必要は
今も変わりません。
事件の背景には、
その時代ならではの空気があります。
だからこそ、
一つの出来事だけを見るのではなく、
その奥にある人間の姿にも
目を向けたいと感じました。
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常識と恥|常識は環境によって変わる

