お盆は誰の為にあるのか【第97話】

お盆は
日本人にとって
身近な行事のひとつです。

子供の頃から
当たり前のように続けてきた習慣も、
年齢を重ねるにつれて
見え方が変わってきます。

今回は、
お盆という行事を通して
家族や人とのつながりについて
考えさせられる一篇です。

祖先より先に大切にしたいもの

私たちの年代(48)は、
七十代、八十代の人たちほど、
お盆に対して執着はない。

先祖を敬うという気持ちはある。

しかし現実は、
自分がよく知っていた人でもない限り、
­偲­(しの)ぶことさえできないだろう。

実際の墓参りにしても、
自分がものごころついてから
亡くなった人でなければ、
現実味はない。

顔もわからないような、
系譜だけで祭られたような人の
墓参はなじまない。

私が幼かったころ、
父方の祖父母が亡くなり、
両親に連れられて、
檀家である寺へ何度か行った。

父は次男だったので、
長男である伯父がすべてを取り仕切っていた。

お盆のときも、
同じように集まっていたのかどうかは、
覚えていない。

ただ年々墓参りの回数が少なくなって、
日本が猛烈な勢いで
右肩上がりの成長を始めたころには、
私は父方にせよ、母方にせよ、
ほとんど祖父母の墓参りに行っていない。

元々お盆は、
「うら盆ともいい、
[仏教で]七月または八月の十五日に
祖先の霊をまつる行事」
(三省堂第②版現代国語辞典)とある。

しかし前述したように、
顔もしらない祖先の霊よりも、
身近にいた人の霊を優先するのが、
娑婆(しゃば)に生きる者の仁義だろう、
などと思ってしまう。

そんなわけで、
私は実父と義理の母を亡くしてからは、
二人の墓参りは必ずするようになった。

現代では血のつながった者同士でも
疎遠になる時代だ。

お盆のような習慣が、
全国的な休みを許す力になっているのであれば、
捨てたものでもない。

年に一回、
いずれにしても子は故郷へ帰り、
親は子に帰って来いといえるシーズンなのだ。

それだけでも効用は何物にも代え難い。

お盆で祖先の霊を慰める前に、
まず生きている者同士の
こころをいたわりあうためにも。

執筆日:1998/08/13(木)

編集後記

お盆の過ごし方も
時代とともに変わってきました。

しかし、
家族や故郷を思う気持ちは
今も昔も変わらないように思います。

振り返って、
人とのつながりの大切さを改めて感じました。

👉第98話はこちら
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