自我の強さ【第212話】

自分では普通に話しているつもりでも、
相手には強く感じられてしまうことがあります。

1998年の私は、
歯科医とのやり取りや、
かつての部下から言われた言葉をきっかけに、
自分自身の「自我の強さ」について考えています。

自分では気づかない「強さ」を考える

「うがいをしてください」

そういわれて
私は普通にうがいをする。

するといま詰めたものが取れて、
水といっしょに吐き出されてしまう。

「強すぎます」
と歯科医からいわれた。

私のうがいが強すぎるくらいで、
詰めたものが簡単に取れてしまうか。

もう十五ヶ月以上も同じ歯をいじっている。

お人好しの患者である私も、
いいかげん医師不信に陥っている。

でも私の場合、
自分では普通にやったり、
言ったりしているつもりでも、
相手にかなりきつく感じられていることがある。

むかし部下から
「初めのころ、
 なんで課長から怒られなければいけないんだよ、
 て思いましたよ」、
といわれたことがある。

私はいたく悩んでしまった。

自分自身では普通に話していたりすることが、
相手にしたら、
怒られているように感じる、
というのだから。

それで話を戻すと、
自分では普通にうがいしているつもりでも、
詰めものにかなり激しい力が加わり、
取れてしまったのかもしれない、
などと思ってしまうのだ。

いまさら直すことはできないのだろうが、
良い意味でも、悪い意味でも、
自分で考えている以上に、
相手に強くあたっているのだろうか。

気をつけなければいけない。
誤解される恐れがある、
と思う。

また、
悪いことに私は誤解されても、
それを解こうと強く思う方ではない。

良くいえば自然流だが、
悪くいえば人任せなのかもしれない。

そして独り合点で、
独り善がりなのだ。

おっちょこちょいな性格が、
独り合点を増長させ、
部長をして独り善がりに思い込むな、
といわせてしまう。

ただ、
もの書きにとっては、
必要な性格のひとつだ、
とこれまた独り合点している。

執筆日:1998/12/6(日)

編集後記

自分では普通にしているつもりでも、
相手には違って伝わる。

第212話は、
そんな「自分と他人との感じ方の違い」を、
自分自身の性格から考えた文章です。

28年後の今読み返してみると、
1998年の私は、
自分の欠点と思える部分まで
「もの書きには必要な性格かもしれない」
と考えていました。

自分を知ることは、
欠点を消すことだけではない。

自分の性格を知ったうえで、
どう生かすかを考えることでもあるのだと思います。

👉次回記事「第213話」はこちら
服装|服装がつくる「人らしさ」の見え方