人は、
人生の最後に何を残せるのだろうか。
毎年繰り返される七夕の夜に、
ふとそんなことを考える。
仕事、地位、お金――
それだけでは埋まらないものが、
人生にはあるのかもしれない。
七夕の夜に考えたサラリーマンの現実
今日は七夕である。
例年七月七日の夜は天気が良くない。
今晩も時折雨のパラつく曇り空である。
奈良時代から行われているという七夕も、
最近はそれらしき笹の葉が、
軒先に飾られている家など見なくなってしまった。
短冊に思いを込めて書くなどというのも、
遠いむかしのことになってしまい、
今ではそんな風情はほとんど都会では見られない。
私が短冊に思いを込めて書くとしたら、
もちろん
サラリーマン千日解放、
できるだけ早く解放してくれ、
と書く。
あと二回七夕を迎えなければならないのか、
と思うとかなり長いような気もする。
いや、
ひょっとしたら二回ではすまないのかもしれない。
七夕が毎年繰り返されるように、
人間の営み、人生も、
様々な事象の繰り返しにすぎない。
そして私たちは、
旅立つまでに何を残してゆくのだろう。
特にサラリーマンなどは、
どんなに会社で頑張りましたといっても、
実際何が残るのだろう。
せいぜい、
小金が貯まるくらいだろう。
出世して重役といわれるくらいだろう。
それはサラリーマンとしては立派じゃないか、
負け犬が何を言うか、
といわれるかもしれない。
だけどほんとうに、
それで何が残るの?
定年後、
職場がなくなったら何をするの?
何もないだろう、
ほとんどの人が。
私は、もう少し早く
物書きになる天命を受けていても良かったのかな、
と思うときもある。
しかし、
若過ぎれば、
多分成功、失敗に拘わらず挫折したであろう。
また、五十を回っていれば、
諦めたかもしれない。
この歳(とし:48)、
今こそすべての条件が、
絶妙のタイミングで熟している。
執筆日:1998/07/07(火)
編集後記
人生には、
「今しかできない時期」があるのだと思います。
早過ぎても、
遅過ぎても、
うまくいかなかったかもしれない。
そう考えると、
すべての経験には意味があったのだと感じます。
👉第61話はこちら
作家で食べていくのは可能なのか|決算棚卸しで見えた現実

