服装【第213話】

人はなぜ服を着るのでしょうか。

服装には、
防寒や身を守るという役割だけでなく、
所属する社会や職業を表したり、
自分自身を演出したりする役割もあります。

1998年の私は、
「服装」と人間との関係について考えています。

服装がつくる「人らしさ」の見え方

土人の世界でない限り、
現代の社会で服を着ない国はないだろう。

ヌーディストクラブなるものはあるようだが、
これなどは典型的な服装社会に対する反発でもあろう。

人間、
属した社会である程度服装が決まってくる。

学生らしい服装、
サラリーマンらしい服装、
果ては就職の服装まで出てくる。

特に、
日本では、
いまだにユニフォームがあり、
同じ社会に属する人たちは
同じ服装をする暗黙の受入態勢ができている。

いや、
よく考えてみると世界的にユニフォームはある。

スポーツの団体競技などでは、
必ずユニフォームを着る。

服装で人の人格は判断できないが、
見せかけの人間性を装うことはできる。

坊さんの服装、
牧師の服装、
看護婦の服装等を見て、
悪い人と感じる人は、
過去においてそれらの人たちから
よほど厭(いや)な思いをさせられた実体験を持つか、
ミステリーを読みすぎた人くらいだろう。

要は服装で、
かなりのところまで人柄を演出できてしまう、
ということなのだ。

女性が奇麗になりたい、
という気持ちのなかには、
着飾りたいという気持ちが、
かなり大きな部分を占めると思う。

そしてそれが、
実際女性を奇麗にしているともいえる。

男は見かけではないといって、
服装をおろそかにしていい、
という論法は決して成り立たない。

むしろ動物などは
男の方が飾り好きなくらいだ。

勿論男性の場合、
着飾りたいというのは
一般的ではないかもしれないが、
小奇麗にしておく必要はある。

特に我々サラリーマンは、
職種にもよるが、
営業や購買に携わる人間は必ず接客があるので、
そう感じた経験は少なからずあると思う。

では、
作家はどんな服装をするのだろう。

裸ってわけにはいかないが、
和服の必要性はない。

やはり小奇麗さを念頭に決めよう。

執筆日:1998/12/7(月)

編集後記

「服装」は
毎日の生活にあまりにも身近なものなので、
普段は深く考えません。

しかし1998年の私は、
服装から
「所属する社会」
「職業」
「人間性の見せ方」
まで考えています。

サラリーマンとして働いていた自分にとって、
服装もまた会社や社会の一部だったのでしょう。

そして最後には
「作家はどんな服装をするのか」
と考えています。

仕事を変えれば、
服装まで変わる。

そんなところにも、
生き方の変化が表れるのかもしれません。

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