勤労感謝の日は、
働く人にとってどんな意味を持つのでしょうか。
1998年の私は、
サラリーマンにとっての
勤労感謝の日を考えながら、
会社員として働くことの気楽さと厳しさ。
そして自分自身が独立へ向かおうとしている
ことを綴っています。
勤労感謝の日に考えるサラリーマンの働き方
本日(1998/11/23月曜日)は年に一度の、
勤労感謝の日である。
もちろん、
年に一度しかないのであるが、
サラリーマンとしては、
年に四、五回あっても良いと思うくらいだ。
日本で最大の納税者は、
サラリーマンなのだから、
もっとサラリーマンに感謝する日があっても良い、
と思うのは私だけだろうか。
サラリーマンにとって勤労感謝の日は、
単なる休日にしかすぎない。
サラリーマンに恩恵のある行事が催されたことなど、
聞いたこともないし、
実際にもないのだろう。
なんとも有り難味のない休日だ。
勤労感謝とは、
常日頃の勤労者にご苦労様、
といって感謝するためなのか、
それとも我々労働者が、
健康で毎日勤労できることに感謝するためなのか、
定かではない。
妻に聞いてみると、
「まず、健康で毎日勤労できることを神に感謝します
(彼女はクリスチャンである)。
それから、家族のために働いてくれている人(私だ)に、
感謝するのです。順番は、決して逆ではならないのです」、
という。
また、
行事がない理由は、
勤労感謝の日は休まなくてはならないため、
疲れを伴う行事はないのだそうだ。
まあ、なんでも休めれば良いのだ、
とも思える。
休んでも給料がもらえるサラリーマンこそ、
気楽で旨(うま)みのある仕事だ。
経営者でない限り、
休みの日にポカンとしていても、
次の週を迎えることができる。
従業員のことなど、
ほとんど考えなくてもすむ。
とことん気楽といえば気楽な稼業だった。
そんなサラリーマンでさえ、
昨今は気楽に考えていたら足を掬(すく)われる時代だ。
ならばいっそ、
独立した方が良いではないか。
私にはもう勤労感謝の日も、
祝祭日もない。
ましてや休んだ上に給料など、
一銭も入ってこない世界へと入って行く。
執筆日:1998/11/23(月)
編集後記
1998年の私は、
勤労感謝の日をきっかけに、
サラリーマンとして働くことについて考えていました。
そして最後には、
自分自身が「勤労感謝の日も祝祭日もない」
独立の世界へ向かおうとしていることを書いています。
2026年の今読み返すと、
会社員として働くことへの違和感と、
そこから抜け出そうとする気持ちが、
はっきり表れている一篇だと感じます。
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