ボーナスは、
サラリーマンにとって特別なものだ。
半年の努力が報われたように感じる、
数少ない瞬間でもある。
しかしそれは、
本当に「得」なのだろうか。
その意味を改めて考えてみたい。
サラリーマンの報酬の仕組みを考える
本日夏のボーナスが出た。
サラリーマン経験のない人は、
ボーナスの喜びは分からないだろう。
半年間の忍耐と、
涙と汗の結晶、
などと月並みな言葉では
語り尽くせない重みがある。
特に家族や子供を抱えていると、
まさにボーナスで一息つけるのだ。
私はあと三年足らずの内に、
ボーナスをもらわない世界へ
入ってゆこうとしているわけだ。
何か残念な気もする。
サラリーマンをしていて、
よくやったな、
と思える瞬間は、
ボーナス以外にはあまりない。
というのが、
標準的なサラリーマンの実感であろう。
「金じゃないよ」、
という猛者もたまにいるが、
「じゃあ何なの?」
ときけば、
やり甲斐だ、とか達成感だ、
とか言う。
たしかに短距離走者であれば、
そういうこともあろう。
しかし長距離走者である
サラリーマンにとっては、
給料日が多少なりとも
報われる瞬間ではないだろうか。
そして給与が
数ヶ月分まとまって入ってくるボーナスで、
ある意味では達成感を味わい、
よしまた半年頑張ってみるか、
と思える一瞬になるのだろうと思う。
継続的な不景気に大きく影響を受けて、
ボーナスが年々少なくなってきている。
でもまだ貰えるだけでも良いと思わなくては、
などとサラリーマンならではの表現で、
わが身を慰めたりしている。
私はかつて歩合セールスマンだったとき、
ボーナスのないことに物足りなさを感じた。
結果を出せば、
一月でボーナス以上の給料がもらえたにも拘わらずだ。
しかしよく考えてみると、
本来もらえるものを
先延ばしにされているわけで、
大仰にありがたがる必要はないのかもしれない。
味気ないこというなよ、
といわれるかもしれないが、
そう考えて、
今後もらえない世界へ入る覚悟を私は決める。
執筆日:1998/06/30(火)
編集後記
報酬の形は、
必ずしも本質を表しているとは限りません。
何に価値を感じるのか。
それによって、
働き方の意味も変わってくるのだと思います。
👉第54話はこちら
副業と会社員は両立できるのか|二足の草鞋(わらじ)に苦しむ現実

